VOL.017 –REO / MILAN_ITALY

最終的な目標は「日本=REO」にしたい、夢みたいな話ですけど

Imhereがお届けする海外で暮らす気になるあの人。vol.17はパリやミラノでモデルとして活動するREOさん。モデルを始める前はアルゼンチンでプロのサッカー選手として活躍していたという異例の経歴を持つ彼。お気に入りだというミラノ・ナヴィリオのカフェで待ち合わせ、アスリート時代の秘話やモデル業について、たっぷりと語って頂きました。

 

「自分が勝負する業界のトップを知りたいと思ってパリへ」

 

ミラノの前はパリに住んでいたとか。モデルとしてパリへ行ったきっかけは?

答えになってないかもしれないですけど、直感です。いつも自分が勝負する業界のトップを知りたいと思うので、安易な考えかもしれないけど、ファッションならパリ。だからまずはパリで勝負してみようと思ったのがきっかけ。

 

実際にパリで活動してみてどう?

パリは初めてで、右も左もわからない状態からスタートしたんですが、LEMAIRE(ルメール)のランウェイを歩くことができました。でも、これは自分の力じゃなく、ただ運が良かっただけだと思っています。もちろん、この経験は自分のキャリアとしてかなりデカいことだと実感しているし、1本でも歩くことができたのは本当に名誉なことですけど、満足しているわけではないです。LEMAIREがきっかけでほかの仕事に繋がったり、事務所や業界からの評価も変わったので、キャリアアップできたと感じていますが、正直あと2〜3本は歩きたかったですね〜。

 

 

世界中から選りすぐりのモデルが集まってくるパリやミラノでモデルとして活動している日本人はごくわずか。その中で一流モデルと対等に渡り合うためのモチベーションの高め方は?

そもそも僕もその一流の中の1人で、誰にも負けてないと思っているんです。今、所属事務所のモデルハウスに住んでいて、周りにいいモデルたちがたくさんいますけど、自分に絶対的な自信があるので、いつも「俺が一番カッコいい、誰にも負けてない」って思ってます。モチベーションは、自分の目指すところがあるので、保つことができているのかなと思います。

 

確かに、自信がなかったらポンッとパリやミラノに飛び込まない。質問が間違ってた!

いやいや、僕、ナルシストなんですよ。自分がマジでカッコいいって思ってます(笑)。

 

自己肯定感を高く持つことって簡単じゃないからすごく良いことだと思う。なぜミラノへ移住したの?

仕事が回ってくる、こないの塩梅です。勘ですけど、来る前から事務所やブランドの反応がいいだろうなと思っていたし、パリよりミラノの方が自分に合っていると思ってました。そしたら案の定、反応が良かったです。仕事ファーストに考えた時に自分がより求められている場所というのと、元々ミラノに住みたかったという気持ちが一致して。

 

 

実際住んでみてパリとミラノの違いは?

物価。ミラノも決して安くないですけど、パリに比べたらちょっと安いかな。あと、人がフレンドリー。もちろんパリもフレンドリーですけど、一枚フィルターがかかっているというか、みんながみんなをジャッジしている感じがします。例えば「モデルとしてお前どんな感じ?」みたいな。でも、ミラノはそれ抜きで接してくれる気がします。イメージですけどね。

 

日本と比べたらパリやミラノでモデルのキャリアを積むのは難しいと思うけど、具体的にどんなことが大変?

モデルって受動的な仕事だと思うんです。事務所とクライアントが話をして決定事項をモデルに伝える。キャスティングから仕事が決まるまでの間で、僕らができる作業ってないんです。仮にサッカーだったら監督が試合に出す選手を決めるので、監督にアピールすればいいし「俺って上手いっしょ!」ってアピールする場もあるんです。でも、モデルの場合はアピールの場がない。もちろんこれまでの経歴は評価されるけど、今の段階では付け入る隙がなく、受動的すぎる部分が大変だし、メンタル勝負だと感じています。仕事が決まった後なら何かしらアクションを起こせるけど、それまではアクションを起こせないのが大変。

 

なるほど、キャスティングが終わったら結果を待つしかない。

仕事をもらえて、良いパフォーマンスができたら次に繋がります。あと大きなブランドであればキャスティング会社も同じだったりするので、キャスティングに呼んでもらえる機会も圧倒的に多くなります。1つの仕事からどんどん派生する感じです。

 

 

さっき、例えでサッカーの話が出たけど、REOさんの異例の経歴にビックリ! モデルになる前はアルゼンチンでプロのサッカー選手として活躍していたとか。

そうなんです、アルゼンチンで5年間ぐらいサッカーしてました。アルゼンチンへ渡ったのは高校を卒業してから。これも直感なんですけど、高校卒業してプロに行ける実力はなかったけど、プロになれると思っていたんです。そして、高3の夏ぐらいにベッドで寝転がっていたら降ってきたんですよ。「あ、俺アルゼンチン行かないといかん!」って(笑)。それで、高3の 9〜10月に1ヵ月間試しにアルゼンチンへ行き、その時に「行くべき場所」だと確信したので、卒業と同時に本格的に移住しました。

 

専門的なアソシエーションみたいなのがあるの?

当時、ホームステイ先とチームを保証してくれるサッカー専門の留学会社みたいなところがあったんです。そこを通して行きました。ホームステイ先の人がいろんな繋がりを持っていてサポートしてくれるので、最初は小さい地区リーグみたいなところで1年間やっていました。

 

なるほど〜、アルゼンチンのどこに?

ブエノスアイレスの小さな県リーグです。3部からプロなんですけど、僕が最初にいたのは7部です。

 

7部にいて、どうやってプロまでのしあがったの?

僕の通っていたジムにゴンサロっていうトレーナーがいて、めっちゃ仲良かったんです。アルゼンチンのお父さんみたいな感じの人で。彼には本当にいろんなことを話していたので、僕の現状を全部わかってくれていたし、練習も見に来てくれたりもしていました。そして、1年目が終わって、1ヵ月間日本に帰国したんですけど、再度アルゼンチンへ戻るときに、ゴンサロにコンタクトを取ったところ、3部(プロ)のチームのフィジカルコーチになったから練習に来い! って誘ってくれたんです。

 

 

「プロになるきっかけをくれたのは、アルゼンチンの父、ゴンサロ」

 

それは、絶好のチャンス!

もちろん行きますよね。お試しって言っても練習に参加させてもらえるんですから。そしたら、そこの監督が気に入ってくれて契約に至ったんです。

 

え、いきなりプロ入り!?

そうなんです、本当は練習に参加させてもらうのは1日だけだったんですけど、初日の練習が終わった後に、明日も来るように言われ、その次の日も、その次の日も、結果1週間程参加させてもらったんです。ゴンサロと仲良いし、日本人だし、当時19歳で若い奴が来た、みたいな感じで面白半分な部分もあったと思うんですよ。でも最終的に契約してくれました。

 

すごい!! そんなことってあるの?

いや、ないと思います。本来なら代理人がコンタクトを取って、練習に参加して試験を受けて契約するか、しないかに至ると思うんですけど、それを飛ばして契約してくれたのは本当に異例なことだと自分でも感じています。本当にゴンサロのおかげです。運が良かった。

 

もちろん運も大事だけど、実力があってこその運だと思う。

このきっかけがなかったらどうなってたかはわかんないっすね。ステップアップはしてたと思うけど。もちろん自分に絶対的な自信があったし、このままプロ入りを狙おうとも思ってました。でも、最初のきっかけをくれたのは、紛れもなくゴンサロです。

 

そういう自信ってどこから来るの?

サッカーの時もモデルの時も結構聞かれるんですけど。サッカーは、誰よりも練習しました。練習したら自信に繋がるし、上手くいったらそれが自信になる。練習→上手くいく、この繰り返しです。誰でも練習すると上手くなって、それが結果として出る→確信に変わる→自信として完全に残る→雰囲気(オーラ)にも出てくる。持論ですけど、自信の付け方って2種類しかないと思うんです。一つは圧倒的な結果を残す。もう一つは、誰にも負けないぐらいの努力をする。僕は決してサッカーの能力に長けていたわけじゃないので、後者の方です。誰にも負けない努力をして自信に繋げました。

 

 

すごい、成功する人の言葉。アスリートって自分との戦いだと思うんだけど、自分を高めたり、プレッシャーに打ち勝ったり、みんなの期待を背負ったり、メンタルが強くなきゃ無理だと思う。メンタルの鍛え方は?

きれいごとに聞こえるかもしれないですけど、一番根底にあるのは自分の目標とか夢に対する熱意じゃないですか。それがどれだけあるか。その温度が根底にあるから練習するし、行動する。だから目標に対する温度や熱みたいなのが全てのベースだと思ってます。

 

アルゼンチンで5年間活躍してどうだった?

イメージ通りって言えばイメージ通りでした。ただただ楽しかったですね。寂しいとか孤独感とかは一切なかったです。

 

アスリートの世界って、ポッと入ってチームメイトと自然に仲良くできるものなの?

1年目の県リーグの時も、プロリーグで練習させてもらった時も、最初は「ボール蹴れるんか?」、「寿司でも食っとけ!」みたいなところから始まるんですよ(笑)。まぁ、自信のある奴らが集まってきてるんで当然ですよね。っぽいっちゃ、っぽいですし。でも、僕の場合は「サッカー」っていうコミュニケーションツールがあるので、練習に参加してサッカーが上手ければ、もうなんでもいいですよ。上手い奴が偉いっていう世界。みんな上手い奴とコミュニケーション取ろうってなるので。全くスペイン語が喋れなかった1年目は「言葉なんかいらんからサッカーしようよ」って言って、実力がわかったら仲良く接してくれる感じでした。まずはそこがコミュニケーションだった。

 

なるほど、最初にスキルを見せるところが大事ですね。

そうですね、それが全て。上手いか下手かで、舐められるか舐められないか、人として認定されるかされないか、みたいなイメージ(笑)。

 

怖い(笑)。

上手い奴が偉いし、仕方ないですよね。だからチームメイトとコミュニケーション取れなかろうが、上手い奴にはピッチ上で人が付いていきますからね。それがプロだと思います。

 

間違いない! アルゼンチンってヨーロッパより治安が悪そうなイメージだけど。

めちゃめちゃ悪いです。ヨーロッパはいい方だと思います。僕、アルゼンチンで夜10時ぐらいにバスを降りて歩いて家まで帰ってたんですよ。そしたら、後ろからカチャと音がして、背中に何かを押し当てられてるのを感じたんです。そしたら「持ってるもの全部出せ!」って言われて。なんとなく背中に当たってるものがピストルってわかるんですよ。これはヤバいって思ったんですけど、僕ちょうどその日の練習で上手くいかなくて機嫌が悪かったんです。で、リュックを下ろすふりをしたら、銃口が下に向いたのが見えたので、その瞬間に相手の顎に2発入れました。そして、相手が気絶したのでホームステイ先へ走って帰って、警察を呼んでもらいました。

 

えーーー、嘘でしょ! 一歩間違えば命が危なかったね。

ほんま危なかったです。小さい頃ボクシングやってたことがあるので、少し自信があったのと、機嫌が悪いのとパニックと・・・なんかゾーンに入ってました(笑)。やっぱり南米は治安良くないですよね。特に夜は。あと、サッカーで言えば、試合で負けた時にチームのバスが移動中に襲われたりしてましたね。

 

怖すぎっ!! 怪我が理由でサッカーを引退することになったとか。

3年程前、足に腫瘍ができてサッカーができなくなったんです。これからどうしよう、って考えた時に目立ちたかったのでモデルかなと。カッコつけるの好きだし、自分でカッコいいと思ってるし、でも演技はできない。だからモデルやと思ったんです。

 

「夢みたいなことですけど、最終的には「日本=REO」にしたい」

 

サッカーやってる方が断然目立てるから、今は物足りないのでは。

そうっすね。全然、全然、物足りないですね(笑)。ピッチの上にいた方がよっぽど目立てますからね。ミラノでカフェとかにいても「なんでみんな俺のこと知らんのやろ?」とか思うんですけど、そりゃ、知らないですよね(笑)。

 

そのためにもミラノでがんばりたいよね。

本当にそうなんですよ。もっと言えばファッション業界だけでなく、もっと幅広くやりたいです。今、SNSをがんばってやってるのも今後の自分の目標のためだったりするんです。

 

 

アスリートからモデルに転身して一番変わったことは?

食かな。今は一日一食ですけど、アスリート時代は多い時で5食、プロになってからは3〜4食でした。あと、スキンケア。これまで日焼け止めを塗ったことがなかったんですけど、今は1日2回塗ってますからね(笑)。まるでアスリートの時のプロテイン取るタイミンングみたいに(笑)。

 

今後のプランは?

いくつかあるんですけど、一番大きなところは・・・。例えば、日本で一番有名な女性モデル、誰もが知ってるスーパーモデルって言われた時に誰を思い浮かべますか?

 

富永愛さんでしょ!

ですよね、メンズで言うと誰がいますか?

 

え、メンズ・・・。誰だろ!?

そこを狙いたいんですよ。

 

なるほど。

まだあるんすけど、サッカーやってる時からの目標なんですけど、最終的には「日本=REO」にしたいんです。夢みたいな話ですけどね。

 

アルゼンチン=マラドーナみたいな。

日本で言ったら「日本=寿司」とかじゃないですか。だから寿司レベルまでいかないといけないんですよね(笑)。アスリートで言ったら、イチロー選手とか大谷翔平選手とか。イタリア人からしたら、中田英寿選手とか長友佑都選手とか。最終は「日本=俺」にしたい。あと、僕身長が180cmで、ランウェイモデルとしては一番低いんですよ。最低でも183cmはないといけない世界なので。もちろん、ランウェイモデルでなければ、僕より低い人もたくさんいると思いますが。メンズのパリ・ミラノのランウェイモデルに必要とされている身長183cmに満たない僕がランウェイを歩くことに意味があるのかなって思ってます。今まで180cmのランウェイモデルっていないと思うので。僕がランウェイを歩くことで、ファッション業界の固定概念みたいなものをひっくり返したいっていう思いがあります。もちろん、僕はランウェイだけにフォーカスしてるわけではないんですが、一つの目標です。

 

なるほど、それがパリのLEMAIREだったわけね。

そうなんです。ランウェイモデルの基準身長に満たない僕がランウェイを歩いたっていうので、ミラノのエージェンシーからも評価されてる部分があるんです。

 

このあとは一時帰国するとか?

一時帰国しますけど、またミラノへ戻ってきて挑戦するつもりです。やっぱりミラノが好きなので、できれば早くこっちをベースにしたいです。日本でも仕事をしつつ、ミラノを拠点にできるといいなと思ってます。

 

うん、早くミラノやパリで活躍してほしい!

 

【プロフィール】

REO >> INSTAGRAM>>@_reo03217

>> TikTok>>@reo_03215

高知県出身。高校卒業後、アルゼンチンのブエノス・アイレスへ移住し、プロサッカー選手として5年間活動。足の手術によりサッカー選手を引退後、2021年モデルへ転身。2022年よりパリ、ミラノを拠点とした海外でモデル活動をスタートし、2023年1月パリコレデビュー。メンズのコレクションモデルとしては異例の身長180cmでありながら、ランウェイを歩くという偉業を成し遂げる。エージェンシー:THE CLAW MODELS

 

➖➖MEDIA INFORMATION➖➖

>>Im here magazine

2020年、ニューヨーク、ハワイ、イタリア、それぞれの場所を拠点に生活する3人の女性が立ち上げたウェブマガジン。現地のライフスタイルはもちろん、世界各国へ移住した人たちにフォーカスした「気になるあの人」のパーソナルなライフスタイル情報をインタビューを通して自分たちの目線でお届けしています。

 

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