vol.010 – Masaya Nakayama / New York

全ては人との関係性、コネクションがないと世界は広がっていかない

さて、今年最初の気になるあの人は、NY在住の絵描き、中山誠弥さん。昨年は、人気のビールメーカー、ブルックリンブルワリーとコラボして話題に! 現地での活動はもちろん、NYのアート事情や日々感じることなど、普段は聞けないようなトピックを気ままに話してもらいました。NY在住10年目の彼の目に写るアートの世界とは。

 

「生徒に偉そうなこと言うなら、自分の言葉に責任を持とうと思って渡米」

 

絵描きとして活動するようになったきっかけは?

父親が絵が得意だったこともあって、僕も小さい頃から絵を描くのが好きで、何をしても続かない自分がずっと続けていることが絵しかなかったんです。その流れで大阪の芸大に行ったんですよ。

 

すごーい!!

でも、大阪芸大って日本の芸大の中ではちょっと変わってる奴が集まるというか……(笑)。

 

その方が楽しそうだけど!

一応絵の大学を卒業したけど、大学に通っている頃から僕はずっとひねくれ者で(笑)。

 

ははは(笑)。

結局、「日本で絵で食っていける奴なんていないだろう」とか、「そんなの無理だろう」って、どっかで世間を斜めに見てるところがあったんです。だから自分の可能性も全部見ないようにして違う仕事に就いたんですよ。今でも僕が絵を描き続けていることを大学の仲間たちが知ったらきっと驚くと思うな。一番アーティストをやってなさそうな奴が今も続けてるから。

 

今でも連絡を取ってる人は?

いますよ。ただ、今でもアーティスト活動を続けてる奴って片手ぐらいしかいないんじゃないかな。最近やっと日本でもアートの市場が拓かれてきたけど、僕が日本にいた10年ぐらい前って、まだアートの市場も今ほど広がりはなくて、(絵で食っていく)自分が想像できなかったし、自信もなかった。

 

そうだったんだ。NYに来たのは?

2012年だったかな。今年でちょうど10周年。

 

アニバーサリーですね。

10年住んだらやっとニューヨーカーって感じっすよね(笑)。こんな長くいると思わなかったけど(笑)。

 

そもそもきっかけは?

NYに来る前までは大阪の公立中学で教師をしてたんすよ。

 

えーーーーーー!!!

そうそう、学校の先生。でも、ずっと心のどこかで絵で勝負したいと思いながらも、現実的じゃなかったから、あえて向き合わないというか、見ないようにしていたところがあったんです。でも、教師最後の年に中学3年生の担任をやったんですよ。進路とか将来のことを子供たちと話す中で、「夢を持ちなさい!」とか、先生だから偉そうなこと言うんですよね、俺(笑)。

 

かっこいいーーーー!!!

でも、かっこいいこと言う割に自分はどうなんだ、って自問自答して。発言してる時って先生と生徒の関係性だけど、卒業して何年か経って、「あの時の先生の言葉ってなんだったんだろう?」って思われるのはダメだと思って。生徒に偉そうなこと言うなら、自分の言葉に責任を持とうと思って渡米したのがきっかけですかね。

 

 

「渡米して、実は俺って何も持ってない、英語が喋れないただのおじさんなんだ、ってことに気づかされた」

 

そんな担任の先生に出会いたかった。

今でも当時の生徒たちとはわりと連絡とったりして、いい関係ですね。職員室の中では好かれてはなかったかもしれないけど(笑)。今、客観的に見ても先生としては変わり者で、ちょっと変でしたからね。周りが求める「ちゃんと」が自分の「ちゃんと」と一致しないことも少なくなかったです。

 

そうだったんですね。自分を信じて思い切って行動することって本当に大事!

そうですね、もちろん日本も大好きですけど、NYへは来てよかったって思ってます。最近は、日本に2〜3週間帰ったら、こっちに早く戻って来たいって思うもんね。

 

それはもうニューヨーカーですね。

日本にいると快適すぎてサバイバル能力がどんどん失われていくような気がして(笑)。だって、日本にいたら何も考えずにある程度幸せな生活がおくれると思うんですよ。人間の思考を停止させるぐらい安心で優しい国だと思うから。でもアメリカにいたら、自分の身を守ることも含めて、考えながら生きるじゃないですか。ところで、なんでしたっけ、質問(笑)。

 

NYに来たきっかけです(笑)!

僕は絵を描くのが好きなだけで、アーティストに詳しくなかったので、好きなアーティストって言えば、バスキアとかウォーホルぐらいしか浮かばなかったんです。だから、歴史的なアーティストが生活していた街で絵描きをやりたいと思って。今だったらドイツとか色々拠点があるけど、その当時はNYしか選択肢がなくて、「NYでしょ!」みたいな。29歳で渡米して、最初は英語も話せなかったので、NYで生きていく術が何もない状態だった。

学校の先生をしてるときは、無条件で保護者や子供達から「先生」って呼ばれるけど、辞めた途端に、実は俺って何も持ってない、英語が喋れないただのおじさんなんだ、ってことに気づかされて。

みんなそういう時期ってあると思う。海外に来ると「職業」や「肩書き」が一旦なくなる感じ。

絵描きなんて腐るほどいるし、それが仕事でも、趣味でもみんな「アーティスト」って言うし、「アーティスト」は職業でもあるけど、自称でも通じてしまう肩書きだから。プロフェッショナルの線引きが難しいですよね。こんな感じで自分自身の仕事に対して色々思うことがあって。そして、最初のうちはとにかくお金がなかったなー。

 

違う仕事をしたりも?

めちゃめちゃしましたよ。ちょっと恥ずかしいけど、来た当時は英語も全然喋れなくて日本語が通じる飲食店で働いてたんですよ。酔っ払いの客にお酒をかけられたことあるし、なんか洗礼を受けましたね(笑)。3年目ぐらいかな、家賃の支払いが厳しい時期があって、スタジオに隠れて住んだりもしてました。今まで生活に困ることってなかったから、自分にできることって実は少ないんだなって思い知らされましたね。まるで人間力を試されてるような感覚だった。今となってはいい経験だけど。

たくましくなりますよね。

本当にそう! ちょっとやそっとのことでは負けないし、なんとかなるでしょって思う。

 

「全ては人との関係性、コネクションがないと広がっていかないと思う」

 

NYへ来てからはどんな活動を?

最初は、何から始めていいのかもわからなかったので、とりあえずスペースを借りて、そこで展示をすることから始めました。でも今思えば、アート関係者が見に来るわけでもなく、自分の友達しか来ないという発表会で、完全に自己満だった。このままじゃダメだと思って、アメリカのアートマーケットに入っていく方法を探しました。

まず、現地のアーティストの友達を作るためにアートスタジオを借りて、そのスタジオビルディングにいるアーティストたちと交流しながら、今のアートマーケットのことを勉強させてもらいました。そのうちに、友達が展示の機会をくれて、ちょっとずつコミュニティが広がっていく感じ。10年いるけど、初めの5年ぐらいは何をしていたのかパッと出てこないほど戦略的ではなかったと思う。

さらに、僕の住んでいるエリアで年に1度、地域の人やアート好きな人がアーティストのスタジオに入って来ることができる、「オープンスタジオ」というイベントがあって、その日だけがギャラリー関係者と繋がれるチャンスの日でした。この繰り返しで、少しずつ機会をゲットしていけるようになったかな。でも、全ては人との関係性、コネクションがないと広がっていかないと思う。そこを構築していくのに最初のうちは時間がかかったな〜。

 

突破口を見つけるのが大変そう。

本当にそうで、海外でがんばればすぐに人気者になれる、海外でやってるからすごい、みたいな海外アーティストに対する目ってあると思うけど、全然そんなことなくて、ただただ辛い。1つ何かいいチャンスがあって、それをモノにできれば、徐々に広がっていくけど、その最初の1つを見つけるのが大変だと思う。

 

 

「NYのマーケットではビジネス目線を持っている方が強い」

 

NYでアーティストとして活動するために大事なことは?

人それぞれあると思うけど、僕が感じたのは、日本でアーティストをしていたら、収益関係なく、「わしは一生これをつくり続けるんじゃ〜」みたいな、いわゆる職人肌というか、匠っぽい人が一般的なイメージじゃないですか。もちろんそういう人も素晴らしいけど、NYではどちらかというとビジネスマンとして、自分の作品をどれだけ作って、収益をいくら上げて、そのうちのいくらを次の作品に回して、数年後にどれだけ利益を出せるか、ビジネスとして考えられている人が強い。

こっちに来て感じたのは、利益を考えられない人は趣味でやってくださいという雰囲気。もちろん個人のスタンスがあるので、一つのことを追求して作り続けるのが悪いわけではなくて、NYのマーケットではビジネス目線を持っている方が強いという話。例えば、日本のアート感覚だと、1〜10までそのアーティストに作ってもらいたいって思うじゃないですか。でも、海外で活躍しているアーティストの中には、完成までほぼ自分では触れないパターンもあったりします。

 

それは、どういうこと?

仕事はあくまでディレクション。自分の頭の中にあるものを一番いい形に持っていくのがアーティストの仕事で、自分より高い技術を持っている人がいたら、その人に依頼してよりクオリティの高いものを作るということ。自分の頭の中にあるものをより良く具現化するためには、いろんな人の手を借りて成立させる。

だから、日本人からしたら、「本人が描いてないんだ〜」とびっくりされることがあるかも。でもこっちでは、自分が認めるスキルを持っている人がいたら、手を組んでどんどん一緒にやっていくと言うやり方。面白い反面もあれば、戸惑う反面もあると思うけど、NYでは、いいものを世の中に生み出せるなら、その方がいいじゃん!って考え方の人もよく目にします。

 

それに対してカルチャーショックは?

正直、最初は作品作りに対して少しドライだなーって思った。でも、そういう社会だからこそ、NYっていろんな人に色んなポジションの仕事があるんだと思う。始めに「日本で絵で食っていける奴なんていないだろう」って言ったけど、NYでは生み出すのは苦手だけどスキルが高い人、作るのは苦手だけどアートのマーケットに作品を流していくのが得意な人、色んな人のために幅広いポジションがあるし、自分の特性を活かせる場がある。

 

面白い! 漫画家さんと近い気がする。

分担作業としては近いかもしれないね。

 

今後、@msynkyma の絵も誰かに手伝ってもらったり?

自分の作品のコンセプト的にも今はその必要はないけど、この先の作品シリーズによっては誰かに手伝ってもらったりすることもあると思う。アート産業ってアーティストだけでは成り立たないじゃないですか。アートコレクターがいて、ギャラリストがいて、アートの市場が動いているから、仕組みが繋がらないとマーケット自体が広がらないと思う。産業を回して後世に残していくための利益の生み出し方や環境づくりってやっぱり大事だから、今後ビジネスとして考えていく必要ってあると思うんですよ。

 

なるほど〜! そう言えば、ブルックリンブルワリーとコラボしたとか。

ブルックリンブルワリーは、僕が住んでいるブルックリン地区の出世頭みたいなビール会社で、僕もNYに来てからずっとファンで。それもあって、せっかくブルックリンにいるんだからブルックリンの企業と何かやりたいって思ってたんですよ。それで、メールを送り続けていたんですが、もちろん返信が来るわけなくて。

そしたら、あるときメールが色んな人を通じて関係者と繋がったんです。そして、作品をすごく気に入ってくれて、そこからはトントン拍子に。彼らはビール会社でありながら、人権や環境に対する意識も高く、僕もそれと同じヴィジョンを持っていたので、そのヴィジョンが一致したのが大きかったです。

 

 

すごい!!

1週間ぐらい朝から晩までブルックリンブルワリーに通いつめて、テイスティングルームの巨大な壁に壁画を描き上げました。そして、ちょうど作品を描き終わった頃にブルックリンブルワリーが世界初のフラッグシップをオープンすることになり、それがたまたま東京で。壁画を気に入ってもらえたというのもあって、東京店の壁画も描かせてもらったり、マグカップのデザインをさせてもらったりもしました。

 

 

子供たちとやってる「Coperus」というプロジェクトは?

NYで出会った仲間で結成した「子供のため」をテーマにしたプロジェクト。メンバーは、美容師、写真家、イラストレーター、画家の4人で、各分野の垣根を超えてできることを探そうということからスタートしたんです。最近はコロナの影響で活動できてないですが。

 

 

どんなことを?

例えば、ブルックリンの街のゴミを拾って、そのゴミでクジラを作って海洋汚染の問題を訴えたり、令和っていう元号が決まる前に、子供たちに次の元号を考えてもらって、それを切符型にデザインして、次の時代に乗り込むためのチケットを作るワークショップをしたり。

 

子供たちとそういう取り組みって素晴らしい。私の子供にも参加させたーい!

日本と海外の文化の違いを知っていく中で、日本の教育にもプラスになりそうな気付きもたくさん見つけたんですよね。それをできるだけアートの力で還元していきたくて。今ちょうど日本のとある小学6年生とオンラインで平和について話しながら一緒に作品を作るプロジェクトもしていて。自分にとっても子どもたちから貰うパワーはやっぱり凄いですよ。

 

NYの好きな場所は?

ブルックリン好きっす! ちょっと大阪に似てて。ここにいると色んな人に話しかけられるんですけど、大阪もそんな感じ。大阪ほどではないか……(笑)!? でも、人との距離感がいい感じだな〜って。例えば、ブルックリンで可愛い靴を履いてる人を見つけたら、思わず「その靴、可愛い」って言っちゃう感じ。こっちで生活してると、この距離感って普通なんですよね。でも、日本に帰って同じことをしたら、友達に「恥ずかしいからやめてくれ」って言われました(笑)。

 

 

ははは(笑)。今後、展示会の予定は?

2月にテキサスで個展があって、今はそれの準備でバタバタしてて、まさに追い込み中。あと、今年は地域と密着した活動をもっと増やしていきたくて色々練ってますよ〜。個人的に子供のワークショップだけじゃなくて、大人のためにもやりたいな〜と。自分の中での2本柱は「アート」と「教育」なので、地域と繋がって、盛り上げていきたいな。

 

【プロフィール】

Masaya Nakayama / 中山誠弥  >>Instagram

1983年、大阪出身。大阪芸術大学美術学科卒。大阪の公立中学校で教員として教育現場を学んだ後、2012年渡米。現在はニューヨーク、ブルックリンを拠点にアーティストとして活動。最近ではクラフトビールのパイオニアとしても有名なブルックリンブリュワリーとのニューヨークと東京を繋ぐ大規模なコラボレーションでも話題となった。「子どもたちの為に」をベーステーマに掲げたアーティストコレクティブ「コペルズ」のメンバーでもある。

Masaya Nakayama, born in 1983. Graduated from Osaka University of Arts, Department of Fine Arts Painting in 2005. After studying education as an art teacher at a public junior high school in Osaka, moved to the US in 2012. Currently based in Brooklyn and presenting works at galleries and museums in Japan and overseas. Actively engaged in educational activities such as nursery art design and holding workshops not only for children but also for adults. In 2019, Masaya gained widespread popularity after collaborating on a mural commissioned by Brooklyn Brewery, a leading craft brewery in New York. Masaya is also the co-founder of the “Coperus”, a Japanese artist collective based in New York and Tokyo. “For the children,” the sole reason this artist group has come together and formed Coperus in 2018. We face and fight the modern-day problems head on in hopes of leaving a brighter future for the next generation.

>website

 

➖➖MEDIA INFORMATION➖➖

>>Im here magazine

2020年、ニューヨーク、ハワイ、イタリア、それぞれの場所を拠点に生活する3人の女性が立ち上げたウェブマガジン。現地のライフスタイルはもちろん、世界各国へ移住した人たちにフォーカスした「気になるあの人」のパーソナルなライフスタイル情報をインタビューを通して自分たちの目線でお届けしています。

 

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