VOL.011 – MASAHIRO YOSHIDA / CESENATICO

仕事を任せてもらえるようになって責任重大。でも、そのぶん楽しいし、何より嬉しい

Imhereがお届けする、海外で暮らす気になるあの人。vol.011は、イタリアの美しい港湾、チェゼナティコにある星付きレストランで働く料理人のMASAHIRO YOSHIDAさん。イタリアで働くことになったきっかけやイタリア国内での転職、コロナ禍でのエピソードを話してくれました。

 

「イタリアで修行したいという思いからミラノへ」

 

イタリアではどんなことをしていますか?

ミラノから南東に少し下ったチェゼナティコというハーバータウンにある@magnoliaristorante で働いています。魚介がメインのミシュラン2つ星レストランです。働きだして1年半ぐらい経ちました。入った当初はメイン料理を担当させてもらって、半年後に前菜担当、今はデザートをやらせてもらっています。海沿いのレストランで働いたことがなかったので、夏は観光客で賑わい、冬になると一気に落ち着く、この季節感がすごく新鮮です。

 

 

海沿いのレストランって素敵ですね! イタリアに来たきっかけは?

小さい頃から料理人になるのが夢だったので、東京の専門学校を卒業した後に信頼するシェフに付いて北海道へ行き3年修行しました。そのシェフはイタリアにも伝手があり、「イタリアで修行したい」という僕のためにミラノのレストラン、@olio.cucinafrescaを紹介してくれたんです。

 

なるほど、初めはミラノに。

そうです。なので、イタリアに着いて3日後にはもう働いていました。

 

「イタリアにある3つ星と2つ星のレストラン全店に履歴書を送ってやっと採用してもらえた」

 

今のレストランへは?

もともとミラノのレストランは1年間と決めていたので、1年経ったぐらいに当時のシェフが他のお店(シェフがこれまでに修行していたレストラン)に募集がないか聞いてくれたのですが、どこも人手が足りている状況だった。なので、履歴書を出して探すしかなくなったのですが、イタリア語で履歴書がうまく書けずかなり苦戦していました。そんな時にシェフが助けてくれて。

 

優しいシェフですね。

料理のことになるとすっごく恐いですが、愛があって優しい人です。そんなシェフが書いてくれた履歴書をイタリア中のレストランに出しまくったんです。

 

イタリア中に!?

そうですね、イタリア国内の3つ星と2つ星のレストラン全店に出しましたが、返事が返って来たのは5件で、そのうちの4件は断られました。そして、唯一OKもらえたのが今の@magnoliaristorante だったんです。自分でも運が良かったと思います。今のレストランから連絡をもらえた時も、「一度会って話がしたい」と言われて。軽い面接ですよね。どこで働いていたのか、何がしたいのかなど、簡単な質問でしたが、めちゃめちゃ緊張しました。頭が真っ白になって、ちょっとパニックでしたね(笑)。

 

 

その時期ちょうどパンデミックど真ん中では?

そうなんですよ〜、2020年の3月なので、番状況がひどかった時期です。そして、4月1日から今のレストランで働くことになっていたけど一旦保留に。その後、1ヵ月間はミラノで待機していたけど、パンデミックがいつまで続くかわからない状況だったので、5月に一度日本へ帰国し、7月に再度レストランから連絡をもらえたので戻ってきました。

 

連絡もらえてよかった〜! 実際に働いてみてどうですか?

楽しいし、勉強もできて本当にいい経験です。でも、来た当初は言葉が全くわからなかったので、まずは言葉を理解するところから始めました。初めはみんなから「イタリア語も話せない日本人が来たぞ!」そんな風に思われていて。でも、1年経ったぐらいから、スーシェフが認めてくれて、仕事を任せてもらえるようになったんです。責任重大ですが、そのぶん、楽しいし、何より嬉しいですね。

 

 

おーーー、それはすごい!!

働き方も、日本にいた時は休みの日でも1〜2時間は職場へ行って仕事のことを考えていたけど、イタリアではきちんと休みがあってプライベートが充実しています。特に夏はすっごく楽しくて。夏はディナー営業だけなので、仕事が始まるまでの時間、みんなで海へ行ってよく遊んでいました。

 

スーシェフに認めてもらうまでが大変だったのでは?

本当に大変でした。スタッフみんなが僕のことを「何もできない」と思っている状態から信頼を得るのは簡単ではなかったですね。スーシェフは、僕の何を見てかはわからないけど認めてくれて、さらにシェフや他のスタッフにも僕を高評価してくれたおかげで、徐々にみんなが信頼して、認めてくれるようになって。

 

 

「日本では自分の意見を言わない方が物事がうまく進む、イタリアでは意見を言わないと逆に失礼」

 

そもそも料理人になりたいと思ったのは?

母親の手伝いをしたのがきっかけです。小さい頃から図工とか物を作るのが好きで得意だったこともあり、将来は物を作る仕事がしたいと思っていたんです。中でも料理を作るのが面白いと思ったのと、イタリア出張に行った父が、イタリア料理にハマり、家庭でイタリア料理を食べることが多かったんです。それで、イタリア料理の美味しさに衝撃を受けたんですよ〜。「うまっ、こんなに美味いものが世の中にあんの?」みたいな(笑)。それで、イタリア料理がやりたいと思ってここまで来ました。

 

 

去年の今頃もロックダウンでしたよね? レストラン大丈夫でした?

再流行した時期にうちでもクラスターが起こり、僕とスーシェフ以外、みんな陽性になってしまったんです。そうなるとお店は開けられないので、2人で食材の整理をしないといけなかったのが大変でした。その後、シェフの機転ですぐにデリバリーに切り替えることになったんですが、切り替えた途端に、「こんなに注文くることある?」ってぐらいオーダーが入って、普段より忙しさが増しました。冬なのに! あの時は1週間で1000人分ほどの注文が入って、本当にびっくりでした(笑)。

 

日本からイタリアの生活になって変わったことは?

日本にいると、自分の意見を言うことがよくない、自分の意見を言わない方が物事がうまく進む印象だったけど、イタリアでは逆。自分の意見を言わない方が失礼。イタリア人たちは最終的に解決しなくても、意見のキャッチッボールをして、お互いがどう思っているのか知りたいというのが強いと思う。意見を交換し合うことでスッキリするので、より良い関係を築けていると思います。

 

 

今後の目標は?

実は、2月末に今のレストランを辞めて、3月にイタリアを旅行して、4月には日本に完全帰国する予定です。帰国後は、東京で働きたいと思っています。もともとイタリアに来る前から3年間だけと決めていたんですよ。信頼するシェフからも長くいると、イタリアの働き方に慣れてしまって日本に帰りづらくなると聞いていたこともあって。期間を3年と決めていると、その中で何かを成し遂げようと尽力するからより濃い時間が過ごせると。

イタリア料理もイタリアの働き方もイタリア人も好きなので、残りたい気持ちはあるのですが、日本で勝負したいと思って帰国を決めました。東京で働くのも初めてなので楽しみです。まずは、料理人の中でもシェフ(トップ)になる修行ができたらと思っています。最終目標としては、東京で自分のお店を持ちたいです。イタリアの星付きレストランで働けたことで、技術レベルが高いのはもちろんですが、一人一人のモチベーションも高く、感化され続けているので。

 

【プロフィール】

吉田昌博 / MASAHIRO YOSHIDA  >>>Instagram

岩手県盛岡市出身、1996年10月18日生まれ。小さい頃に母の料理の手伝いをしたのがきっかけで料理人を志し、父のイタリア料理好きに刺激されイタリア料理の魅力を知り、本格的にイタリア料理のシェフを目指すようになる。高校卒業と共に調理師免許を取り、より料理を勉強したく、東京の辻調理師専門学校に入学。その後、東京で出会ったシェフに連れられ北海道で3年間働き、そのシェフの紹介で渡伊。1年目はミラノの @olio.cucinafresca. 現在は、チェゼナティコの @magnoliaristorante にて活躍中。2022年4月に日本へ帰国予定。

 

➖➖MEDIA INFORMATION➖➖

>>Im here magazine

2020年、ニューヨーク、ハワイ、イタリア、それぞれの場所を拠点に生活する3人の女性が立ち上げたウェブマガジン。現地のライフスタイルはもちろん、世界各国へ移住した人たちにフォーカスした「気になるあの人」のパーソナルなライフスタイル情報をインタビューを通して自分たちの目線でお届けしています。

 

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